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週刊ダイアモンド「哲学は人工知能開発にも不可欠!第一線のAI開発者が解説」へのコメント

2019/06/07
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週刊ダイアモンド「哲学は人工知能開発にも不可欠!第一線のAI開発者が解説」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190607-00204852-diamond-bus_all&p=1&fbclid=IwAR2hSjsdRafByFhRxtVTYUcfGXa_hzQo6v6PZyrYqHzd10VVgq_dm2khfFQ

を読み、少しだけコメントを書こうと思います。

 

一番気にかかったのは、ここです。

「われわれが真に実現したいのは「知能そのもの」ではなかったのか」

と、この記事の著者はおっしゃっていますが、果たしてそうなのでしょうか。

 

「知能そのもの」を実現する目的とは、いったい何なのでしょう。

考えられるその目的の1つは、絶対的な発言かもしれません。その絶対的な発言の元に、人々を束ねたい欲求の現れなのでしょうか。

しかし、人工知能にそのような力はありませんし、人工知能がどのようなものか理解できる人が増えれば、人工知能をそのように扱い祭り上げる人は少なくなるはずです。

 

現在の人工知能は、学習データに左右されます。これは、人でいうところの知識と経験、と同じです。この世にある、ありとあらゆるデータを集めることができるなら、絶対的な発言も可能でしょうが、それは、土台無理な話です。つまり、「知能そのもの」を作るというのは、無理な話なのです。人工知能の発言は、あくまでも、確率的なものでしかありません。

 

人工知能を哲学の観点から話すのであれば、学習データはいくら集めても偏りが生じているのではないかという議論、成功が偶然であったとしても人はその成功体験に依存してしまうように人工知能も成功体験に依存する発言をするのではないか、だとすれば、そのような誤った判断をどのように修正するのかといった議論が必要かと思います。

 

さらに、人が過ちを犯す原因の1つは、偶然による成功体験とそれが成功するという思い込みで、ギャンブル的発想に依存しており、それをテクノロジーの1つである人工知能を使って、いかに回避するかといった議論をすべきなのではないかと思います。

 

人の知能や意識、欲求というのは、人が言葉で規定した概念であり、脳内においてその反応を目にすることは難しいどころか、無いものをあると言い切って探すような行為で、神に笑われるかもしれません。私は、人の脳も生理現象と変わらず、水が高い方から低い方へ流れるような単純なものと考えています。単に快い方向へ、考え、行動するに過ぎない。現在の人工知能も同じです。けれども、人間においてはそこに理性が働き、目先の快よりも、より社会的で将来的な快を目指し、考え、行動します。自らの行為に修正をかけるときがあるのです。人工知能に判断を委ねるような発言をさせるのであれば、少なくとも、多少の犠牲は致し方無いというような判断をする人工知能であってはならないのです。