第9回星新一賞最終選考に残らず!!『愚痴聞きアプリおG(ジー)ちゃん』の開発
第9回星新一賞に出品していたのですが、残念ながら最終選考には残りませんでした。愚痴や皮肉が多く、審査員のめがねにはかなわなかったようです。しかしながら、私としてはなかなか楽しい作品ができたと、そのときは自負を感じたものです。書き終わって大変楽しかったのは、去年出版した「Lv48、そろそろラスボスじゃね?~人生をプログラミング2~おめぇ、遊び人で一生を終えるつもりか? だったら、新しい遊びをどんどん考えろ。~ 」のとき以来でした。書きたいものが書けたときは、気持ちが良いものです。
今回の第9回星新一賞に出品した作品は、もしかすると、一次選考すら通過しなかった可能性はありますが、書きたいものを書き続けるというのは、ストレス無く良い気がします。言いたいことを言う能力というのは、高める必要があります。心は言葉が作るからです。見た目や音、匂いだけの感覚では、心の感覚は研ぎ澄まされないのです。ソムリエのように言葉巧みになるよう能力を高めるべきでしょう。そういう意味では、テレビはあまりお勧めできません。作る側がどれほどの苦労をしているのか知りませんが、テレビから得られる知識と経験が十分となれば、必要以上に見るものではないのかもしれません。
結局、何が言いたいかと言うと、出力です。入力は、テレビの他に、Youtubeもあり、漫画もあり、ゲームもあり、十分かもしれません。本を読むべき年齢というのもありますので、本は読んでいただきたいのですが、それに加えて、文章を書くことは慣れるべきでしょう。最初は書けないものですが、書き続けることが重要です。幸い、最近は、ブログもSNSもあるので、その機会は多いかもしれません。書いたら何か言われると思うと書けなくなりますが、人の言うことを聞きすぎるのも、どうかと思います。それでも言えないのであれば、知識と経験が足りないのかもしれません。自分の意見を言える人になって欲しいと思います。
さて、前段が長くなりました。第9回星新一賞最終選考に残らなかった出品作品「『愚痴聞きアプリおG(ジー)ちゃん』の開発」の全文をここに公開したいと思います。よろしければ、プログラミングとは何かわかる方は苦笑してください。プログラミングとは何かわからない方は、これを読めばわかるかもしれません。1万字弱です。
ーーー
あらすじ
アプリは使ったことはあってもプログラミングで作った経験を持つ人は少ないであろう。2020年度から小学校でプログラミング教育は必修化された。プログラミングがどんなものかぐらいは知っておいても良い。そこで、読者とともに仮想的にプログラミングを体験し、アプリの作成をしてみたい。果たしてその結果は。
ーーー
『愚痴聞きアプリおG(ジー)ちゃん』の開発
「なあ、おじいちゃん、ちょっと聞いてぇ~。お母さんがええよって言うてくれてたお洋服がな、バーゲン終わって高なったからアカンっていうねん。最初の約束守らなアカンやんなあ。おじいちゃんからも言ってぇな。もうあのお洋服は二度と手に入らへんかもしれへんねんで。むっちゃくちゃ貴重やねん。早(はよ)、買わんと誰かに買われてしまう。あ~、せやから、おじいちゃんからも、お母さんに言うてぇな。このままやったら、お母さん、嘘つきやんか。」
確かにお母さんは嘘つきなところがあるかもしれんが、そうは言っても、君は約束をどんなことがあっても守るのか、孫よ。人生、そう簡単ではないのじゃよ。そうは思いながらも、おじいちゃんは、それを声にせず、こたつに背を丸めたまま、無言でお茶をすするのだった。そしておもむろに一言、
「そうじゃなあ、そうかもしれんのう。」
とぼそりとつぶやくのが精一杯であった。
おじいちゃんの反応を見た孫はあきれて声をあげる。
「もう!おじいちゃんなんて知らない。おじいちゃんには何も買ってあげない。」
孫よ、自分でお洋服も買えないのに、わしに何を買ってくれると言うのだ。わしは、この世への興味はだいぶ失せてしまったぞ。ネットショッピングは常識。スマホでタクシーが呼べるのは当然じゃし、出前もとれる。健康用代替肉なんて当たり前。3Dプリンターで3Dの遺影が作れることも知っとるし、墓もデジタル化、スマホでいつどこからでも墓参りができることだって知っておる。エレベーターで宇宙に行ける時代もすぐそこだと言うではないか。もう、宇宙なんて庭みたいなもんじゃよ。もっと面白い話題を振ってくれんと、毎日、暇で暇でつまらんぞ。つまらな過ぎて、息がつまりそうじゃ。そう言えば、そうじゃのう、強(し)いて言うなら、まだあの世には行ったことがない。
静かながらも一人熱くなってしまったおじいちゃんは、ぬるいお茶をゆっくりと飲み込み、気持ちを落ち着かせるのであった。
多くの人は、アプリを使うことはあっても、プログラミングでアプリを作る機会は少ないだろう。中には、アプリなど使うものであって、作るものではない。金を出して言えば誰かが作ってくれると、たかをくくっている人がいるかもしれないが、2020年度から小学校においてプログラミング教育は必修化された。もちろん、小学生がクオリティの高いアプリを作るのは難しい。小学校プログラミング教育の本質は、プログラミング技術の習得よりも、その思考方法に重点が置かれている。すなわち、プログラミングとは、次の3つが基本でしかない。
1.順序
2.条件(じょうけん)分岐(ぶんき)
3.繰り返し
プログラミングは、複雑なことをしているように思われているかもしれないが、ルールは非常に単純である。この単純なルールが理路整然と並べられているために作成者さらには使用者の目的を達成することができる。話は少しずれるが、生物を形作る細胞の分裂と変異も単純なルールに基づいて行われているはずだ。なぜなら微細な細胞が、複雑かつ多くのルールを記憶する部位を持つ構造になっているとは、とても思えないからだ。必要十分なDNA塩基配列しか、細胞は持つことができない。また細胞においては、構成される部品とルールが明確に分かれていることも稀(まれ)であろう。プログラミングの話に戻るが、一般に、アプリ開発のためのプログラミング言語では、データとルールは明確に分けられる。しかし、プログラミング言語には多数あり、データとルールを明確に分けずに記述できるものがある。LISPやPrologと言った言語だ。まだ聞いたことはないが、場合によっては、これらによってプログラム自体が成長するプログラムを書けるかもしれない。しかしこの話は本題から大きく外れるため、今回は話題にしない。時間があったらまた話そう。ともかく、プログラミング教育を受けた今の小学生が成人する頃には、世の中はまた大きく変わり始めているに違いない。
IT革命により、世の中は大きく変わってきている。まず、インターネットとWebページの発展により、これまで教育の中心とされてきた暗記がほとんど意味をなさなくなった。ネットで検索すればわかることをわざわざ覚えることはしない。社会的にもその効果は大きい。国や地方公共団体が提供していながらほとんど知られることの無かったサービスが良く知られるようになった。わざわざ電話をかけ、不調法な職員に窮屈な思いをさせられながら問い合わせる必要もなくなったのだ。インターネットとWebページの普及が国家主導であったかは疑わしい。失われた20年と言っているところを見れば、20年は早く普及できていたに違いない。政治家は経済の二極化を見ることなく、効果の無いインフレ対策に興じ、科学の専門家と称する者たちは核の脅威を猛々しく語るだけであったように思う。
IT革命の次の段階として、ユーザーが無料で投稿できる動画サイトによってテレビの人気は一気に下がった。広告はその費用だけでなく、ユーザーの検索履歴などからユーザーの興味を引きそうなワントゥワンの広告を自動的に提供し、その効果を高めた。最近の無料動画は、バカげたものだけでなく、教育効果の期待できる内容のものまでアクセス数が伸びている。学校の先生の多くは、毎日、毎年のように同じ授業を繰り返す。ならば、授業の神(かみ)動画を作り、動画サイトに投稿しておくだけで良い。学校の先生は、その存在意義を改めて問われることになるだろう。学習の原動力は興味でしかない。生徒が興味を持てば、学習内容の見方が変わる。勉強をさせられるから嫌いになるのだ。恐らく、生徒間すなわち友達の影響は大きく、勉強をしない生徒が増えれば、さらにそうした生徒が増えるに違いない。さらに二極化が進むだろう。学歴の差は、貧富の差を生じさせ、貧富の差は犯罪を生む。かといって、これまでの学校教育が正しいとは限らない。すでに暗記中心の教育は意味をなさないことは述べた。
IT革命のさらなる段階として、AIの発展が目覚ましい。AIが人に代わって多くの仕事をするようになる。人がいないと政府が言っているのだから、その分、海外から受け入れるか、AIが仕事をするのが当然であろう。しかし、それ以上にAIが人に代わって仕事をするようになる。効率が良い上に、正確なのだから当然だ。産業革命と様相が似ているだろうか。歴史は繰り返すと言われるから、産業革命以後の歴史は、今の時代に参考になるかもしれない。多くの人が仕事を失くし、路頭に迷うかもしれない。金が無ければ食えないか。しかし金とは何だ。ネットの世界ではただの数字に過ぎない。ポチポチとボタンを押せば増えるただの数字だ。もちろん、そんなユーザーインターフェースは提供しないし、無暗に金を増やせば、インフレになる。そもそも金とは、いずれこの金額に見合う仕事をしますという手形として渡すものであったはずだ。それがいつの間にか逆転している。金を持っているから偉(えら)いとは一概には言えない。バカな金持ちが経済を正常に回さないとも言える。場合によっては、金の力で世界が破壊される。幸い、SDGsの流れが来ている。恐らく、世界が気付き始めているのだろう。結局のところ、衣食住である。特に、食。この国では毎晩のように、宴会が催され、残飯が捨てられる。コンビニの弁当廃棄などもおかしいことこの上ない。恐らく、人が生きていくには十分な食料生産がされているはずだ。一方で食えない者がいて、一方で大量に残飯が捨てられている。そしてこの問題は、資金が投資されない限り放置される。次に必要な新庁は、SDGs庁ではなかろうか。
話がAIから大きくずれた。AIに創造性のある仕事はできないとされているが、それも時間の問題だ。人を感動させる法則があるなら、それに則(のっと)ったAIを作成すれば良いに過ぎない。AIにできないのは、解が未知の問題を解くことだ。AIは、政治家が言う前例を参照にしているに過ぎない。前例がないことはできないのだ。すなわち、いずれ政治家もAIが担うであろう。一方で食えない者がいて、一方で大量に残飯が捨てられている、この問題はAIには解けない。人間が考えるしかないのだ。ネットで検索しても出てくるわけがない。恐竜は滅び、人類の祖先はなぜ生き残ったか。思考力を鍛(きた)えた頭の良い人が、子孫のために使える物や知識を残してきたからだ。頭が良い人が嫌いと言う奴がいるが、頭が良い人が嫌いなら、頭の良い人が作ったものは使ってくれるな。水一滴飲むどころか、裸一貫、その場に立つことも許されない。頭の良さが生まれながらの才能という考え方も気にいらない。生まれながらに筋肉ムキムキの赤ちゃんがいるだろうか。思考力も鍛えるから頭が良くなるというものだ。才能に対する勘違いも甚だしい。才能ある人が事に当たれば良いという考え方にも、怒りが込み上げてくる。人が生き延びた運命として、人は生きるために人が起こす問題の数々を解決していかなければならない。そのために次の子孫を生む。ただ数が多ければ良いというものではない。下手な鉄砲も数打ちゃ当たると考えているなら、大量の資金とエネルギーを投じて効率の悪い広告を打っているのと変わらない。もう当たらないのだ。多様性を認め合う社会として発展するには、ネット広告のようにワントゥワンの問題解決が必要となる。そのために優秀な人材を育てなければならない。小学校プログラミング教育の必修化は、効果のある一石が投じられたはずであると私は考えている。プログラミング的思考の確立とは、すなわち問題解決の手順を学ぶに等しい。
これからプログラミング的思考を学んだ優秀な生徒、学生が世に出てくるだろう。邪魔立てするのは、プログラミングを学んでいない世代であるに違いない。頭が良い奴は嫌いだなどと平気で言う輩(やから)に違いない。人も生存競争に立たされているのだから、ある程度は仕方が無いが、これ以上は危機的な状況である。事務処理がほとんどの公的機関などはすでに形骸化している。お上(かみ)の言うことを聞いていても一生安泰ではない。IT革命は、まさに革命である。幕末の世、黒船はやってきた。黒船は、現代に照らし合わせて言えばIT。現代は維新の真っただ中にあるかもしれない。維新後、世界は植民地政策の推進によって戦争だらけであったが、次の世紀はそうあって欲しくはない。1つの案として、各国政府首脳陣には、戦争戦略シミュレーションゲームをやってもらいたい。今なら、臨場感あふれる音と画(え)が感覚に鬼気迫り、夢中になればなるほど、負ける恐怖を味わい、必ずや負ける。これで戦争が避けられればめっけもんだ。しかしながら、戦争が無くなれば、人は増える一方。その分、多様性を認めるために問題が増える。学校で見られるような、見えない虐めが増えるのであろうか。すでにおかしな新興宗教がテロ行為で世を騒がせた後の祭りか。ええじゃないか、ええじゃないかと騒ぎ立てる。車載カメラ、防犯カメラの普及が早くて良かった。さらに恐らく、嘘を見抜くアプリは実現するだろう。何とか犯罪抑止になって欲しいと願うばかりだ。
それは俺の仕事じゃねえと言っている時代ではない。そんなことを平気で言う輩(やから)は、社会からドロップアウトさせられる。そうした輩(やから)を新興宗教が救いの手と称して差し伸べ、テロリストへの道に誘(いざな)った。歴史は繰り返されるのだろうか。歴史を繰り返させないために歴史を学ぶ。テレビの裏側が埃(ほこり)だらけという直感が頭をよぎる。隣の国では、表現の自由を奪い、言論統制している。新しい発想が生まれるわけがない。特許件数が世界一になったようだが、ビジネスになっているような話は聞かない。どこの国も少子高齢化と二極化が進んでいるに違いない。一面だけを見、それをあげつらっただけでは問題の解決にはならない。そう言えば、各国語の翻訳については目覚ましいものがある。ワクチン接種のための問診票もスマホでスムーズに記入することができたそうだ。AIによる翻訳も20年前とは比べ物にならない。まだ夢の技術であった。こうして愚痴をこぼしてきたが、世界は一歩ずつ進んでいるのかもしれない。
そう、そしてかく言う私も少なからず世のお役に立ちたいと思い、こうして筆をとったのだ。実際にはキーボードを叩いている。この場を借りて、プログラミングとはどんなものか体験していただきたいと思った次第。読者と一緒に簡易的な記述で、簡単なアプリを作成してみたいと思う。せっかくなので、役に立つアプリを作成したい。愚痴を聞いてくれるアプリなどどうであろう。冒頭の孫とおじいちゃんの会話を思い出して欲しい。誰かに愚痴をこぼさずにいられないときがあるだろう。そんなとき、愚痴を聞いてくれるアプリだ。題して『愚痴聞きアプリおG(ジー)ちゃん』である。最初に言ったようにプログラミングのルールは簡単だ。順序、条件(じょうけん)分岐(ぶんき)、繰り返しの3つしかない。まず、思い起こしてほしいのは、アプリの起動である。通常、アプリアイコンをタップすればアプリが起動する。終了ボタンを押すなどすればアプリは終了する。アプリの起動はアイコンのタップだけではない。「なあ、おじいちゃん聞いて~」という声掛けで起動するようにしても良いのだ。いずれにせよ、アプリの起動後からプログラムが開始され、終了ボタンで終わる。その順序が最も重要なのだ。そう言えば、小学生と坊主めくりを一緒に遊んだときに、自分の順序がわからない生徒さんがいるのに驚いたが、最初は誰もそんなもんだ。次第にわかるようになる。坊主めくりの話題が出たついでに、坊主めくりのルールで説明すると、山をめくり坊主が出ると自分の手札を全て場に出し、姫が出ると場に出ている札を全て自分のものにできる。これが条件(じょうけん)分岐(ぶんき)だ。プログラミング言語っぽく記述すれば、次のようになる。
1 山をめくる
2 めくった札を自分のものにする
3 もし 坊主が出た ならば
4 手札を全て場に出す
5 でなければ もし 姫が出た ならば
6 場の札を全て自分のものにする
さらに、坊主めくりは、山の札が無くなるまで繰り返すので、それをこのプログラムに書き入れると、以下のようになる。
1 山の札がなくなるまで 繰り返す
2 山をめくる
3 めくった札を自分のものにする
4 もし 坊主が出た ならば
5 手札を全て場に出す
6 でなければ もし 姫が出た ならば
7 場の札を全て自分のものにする
8 1に戻る
まあ、ざっくりと言えば、プログラミングなどこんなものだ。細かい話をすれば、誰の手番かを正確に記述しなければならない。話は少し逸(そ)れるが、坊主めくりに限って言えば、山ができた時点で未来は決まっている。未来は決まった時点で過去だ。すでに決まった過去を見るためだけに時間をかけるなど時間の無駄かもしれない。したがって多くの大人は、坊主めくりを楽しまない。しかしながら、楽しむことはなくなっても、プログラミング的には、とても重要な要素が含まれていたのに気づいた私自身も驚きであった。ちなみに、見た目を優先的に考える人には、どんな画(え)にするかから入るかもしれないが、プログラミングで言えば、極端な話、画も音も装飾に過ぎない。まあ、画や音があった方がクオリティは高まるのだが、今回はそれには触れない。とても数学的であることに気付いただろうか。とっつきにくいかもしれないが、できるだけ想像力を働かせて欲しい。さあ、『愚痴聞きアプリおG(ジー)ちゃん』の開発を急ごう。坊主めくりのプログラム同様、ざっくりと記述すれば次のようになるはずだ。
1 ユーザーの愚痴が終わるまで 繰り返す
2 もし ユーザーが一息入れた ならば
3 相槌(あいづち)をうつ
4 1に戻る
相槌(あいづち)は、具体的な方がリアリティがあるだろう。そして、こうしたところにアプリ制作者の個性やセンスが出る。「ほうほう」だったり、「なるほどなあ」だったり、「そうじゃのう、そうかもしれんのう」だったり、具体的な表現が効果的である。「相槌をうつ」部分は、一般的には関数化と呼ばれ、呼び出された際に、関数として定義されたプログラムが実行される。具体的には、以下のとおり。
1 定義 相槌をうつ
2 1から3の乱数を発生させる
3 もし 乱数が1 ならば
4 「ほうほう」と言う
5 でなければ もし 乱数が2 ならば
6 「なるほどなあ」と言う
7 でなければ もし 乱数が3 ならば
8 「そうじゃのう、そうかもしれんのう」と言う
このように定義された「相槌をうつ」関数が、愚痴聞きアプリおG(ジー)ちゃんメインプログラムの中で呼び出されるたびに、定義されたとおりに実行される。ちなみに、乱数というのは、サイコロを振るのと同じと考えてもらえば良い。乱数の命令をプログラム内に記述すれば、コンピューターが勝手にサイコロを振ってくれる。コンピューターであるところのすごいところは、6以上の目や、マイナスも指定できることだ。ここでプログラミング教室あるあるを披露するならば、初心者の生徒さんは、読み方もわからないぐらいむちゃくちゃ大きい数字を入れて反応を見る。昔のコンピューターならば、すぐに桁(けた)溢(あふ)れ、すなわちオーバーフローというエラーを返すだけであったが、今のコンピューターは動いてくれるから大したものだ。他の作品でも書いたが、ブラックマンデーの要因の1つは、オーバーフローに違いない。が、恐らくしばらくそれを認めることはないのだろう。
『愚痴聞きアプリおG(ジー)ちゃん』の開発に戻ろう。アプリ開発者の優位である点を言えば、そこに開発者の意図を盛り込めることだ。たとえば、このアプリ開発者がお母さんだったとしよう。その場合、「相槌をうつ」関数定義は、以下のようにプログラムを書き換えられるかもしれない。
1 定義 相槌をうつ
2 1から3の乱数を発生させる
3 もし ユーザーの発言にお母さんが含まれている ならば
4 「お母さんのことを悪く言うもんじゃない」と言う
3 でなければ もし 乱数が1 ならば
4 「ほうほう」と言う
5 でなければ もし 乱数が2 ならば
6 「なるほどなあ」と言う
7 でなければ もし 乱数が3 ならば
8 「そうじゃのう、そうかもしれんのう」と言う
お金という言葉が含まれていれば、「お金の相談はお母さんにせえ」と言い返すようにしても良いし、「おこづかいはこの間あげたじゃろう」と言い返すようにしても良い。細かい話をすればきりがないが、ユーザーからの入力をできるだけ想定し、それに受け答えるようなプログラムを作成すれば、まるで愚痴を聞いてくれるおじいちゃんのようなアプリができあがる。では早速、以下に実行例を見ていこう。少しばかりアレンジを加えてある。実際のプログラムは読者自身で作ってもらいたい。
孫:なあ、おじいちゃん、ちょっと聞いて~
G:ほうほう
孫:今なあ、めっちゃ欲しいお洋服あんねんやんか。せやけどもう今月のおこづかいほとんどなくってしもてん。おじいちゃん、お金ないかなあ
G:おこづかいはこの間あげたじゃろう
孫:そんなこと言わんと、お母さんに内緒でちょっとだけ…なあ
G:お母さんのことを悪く言うもんじゃない
孫:確かにお母さんが悪いわけやないねんけど、ここはどうしても気張りたいねん
G:なるほどなあ
孫:さっすがおじいちゃん、話がわっかる~
G:そうじゃのう、そうかもしれんのう
孫:とりあえず、1万円、1万円でええねん。なっ、ええやろう
G:ほうほう
孫:私、おじいちゃんのお財布とってきてあげるわ。どこにあるん?
G:そうじゃのう、そうかもしれんのう
孫:そうって何?倉のこと?おじいちゃんの財布、わざわざ倉にしまってあるの?
G:そうじゃのう、そうかもしれんのう
孫:おじいちゃん、さっきからおんなじことばっかり。大丈夫?しっかりして
G:しっかりと言えばシッカリ協賛の大きくて甘~い、しっかりんご
孫:おじいちゃん、テレビのCMの真似なんかして、テレビ見過ぎよ
G:そうじゃのう、そうかもしれんのう
孫:わかったわ。りんごが食べたいのね。じゃあ、りんごを剥(む)いてあげる
G:りんごの気持ちはよくわかる
孫:おじいちゃん、歌が上手ね。そう言えば、この間ユウちゃんがね、とっても良い歌を歌ってたのよ。何て歌だったかしら、やだ忘れちゃったわ。この間まで覚えていたのに、この年でボケちゃったのかしら。やだわ。だけど、お洋服のことは忘れないのよ。人間なんていい気なものね。都合の悪いことはすぐに忘れて、都合の良いことばっかり覚えてるんだから
G:長くてよくわかりません。小牧(こまき)長湫(ながくて)の戦い
孫:何?コマキ何とかって…あら、おじいちゃん、もう、いい年なのに、どこかでいい子でも見つけたの?
G:はい、話はちゃんと聞いていますよ。
孫:あ、嫌なこと思い出しちゃった。でもあれもそろそろ時効よねえ
G:犯人はあなたです。間違いありません
孫:嫌なこと言わんといてー。おじいちゃんのこと嫌いになるで
G:それは、大変じゃのう
孫:もう、こんなところでグダグダしてんと、早(はよ)、1万円出しいな
G:まん延防止措置対策実施中です
孫:おじいちゃん、ええ加減にしいや。普段柔和(にゅうわ)な私も怒るで
G:怒っちゃやーよ
孫:何よ、子供みたいに。子供じゃあるまいし、バカじゃないの。これじゃどっちが子供だかわかんないじゃない。いいわ、勝手に倉の中探すから、金目のものがあったらもっていくね。バイバイ
G:バイバイ、売買、倍々ゲームでさらに倍。投資のご相談ならバイバイ証券へ
いかがだっただろうか。アプリ開発がどういったものか、よくお分かりいただけたと思う。細かいことを言えばきりがないが、アプリ何てこんなものだ。スマホに入っているAIもざっくりと言えば、こんなものだ。しかし視点を変えれば、人間なんてこんなものだとも言える。ところで、お宅のおじいちゃんは大丈夫だろうか。会話の途中で広告を挟(はさ)み込んできたりしないだろうか。そのような様子がみられる場合は、おそらく、それは、無料版のアプリを使っていることが原因だ。有料版、愚痴聞きアプリおG(ジー)ちゃんG(グレート)バージョンの購入をお勧めする。それにしても今回、孫の様子もどこかおかしい。確認できなかったが、孫もアプリだった可能性がある。そしてその作成者は、おじいちゃんから1万円を引き出そうとしたお母さんだったかもしれない。いや、新手の詐欺の手口か。いずれにしても注意した方が良い。そして読者のみなさんには、ぜひ社会に役立つアプリを個性的な視点で開発して欲しいと願ってやまないのである。
<終>