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楽しいことを知ると、もう一度、そしてもっと楽しいことはないか追い求める。この好循環が主体性を生み出しているように思います。

2025/03/24

私は、ずっとどうすれば人は自発的に学習に取り組むかを考えて来ました。自分自身を振り返ってみても、それは、2つしかありません。1つは、自主性、主体性です。2つ目は、切羽詰まった状況です。特に2つ目などは、安心、安全の生活の中では、将来のために学習しようなとという意欲は働きません。むしろ、今の環境、状況を維持しようとすることに努めてしまいます。改めて1つ目の、自主性、主体性についてですが、先日やっと気づいたことがあります。自分で「気付く」楽しさを知ることなのです。ゲームにのめり込むこの最小の要因が、主体性を養うようです。

楽しいことを知ると、もう一度、そしてもっと楽しいことはないか追い求める。この好循環が主体性を生み出しているように思います。「気付く」ことをゲームの外に追い求めたとき、現実での学習が始まります。そういう意味で、ゲームはその導入に最適です。むしろ周囲があれやこれや教えてしまい、気付く環境、状況を奪うことで、結果、主体性を奪っているのではないか。だとすれば、指導する立場にある者ができることは、ほとんどありません。生徒が知りたいと思ったとき、すなわち生徒から質問があったときに教えるか、ヒントを出すか、うまくいったのを見届けてタイミングよく、いいねと言うだけです。

とはいうものの、これをできる指導者はあまり見かけない気がします。指導する立場にいる人は、教えたくて仕方がない。指導する立場にいる人が、存在意義を示し、その欲を満たすために生徒に教えている。これこそが仕事だと思っている。そんな指導者の方が、少なくとも私が過ごした昭和には多かったですね。今の学校の実態はまったく見えて来ません。指導要綱が改定されたと聞くだけで、良くなったと言う話は少しも聞きません。そう言えば、学校、バズらないですね。生成AIを使って、個人情報をマスクし、もっとバズらせれば良いのに。