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ゲームの「操作」が「現実を生きる自信」に変わる時。親世代が知っておきたい、デジタルとリアルの幸せな関係

2026/04/27

こんにちは。「考える力をみがく、パソコン家庭教師」の前川です。

先週は「ゲームクリアの達成感」についてお話ししましたが、今週はさらにもう一歩踏み込んで、ゲームが子供に与える「操作する自信」という側面について、私の個人的な意見を述べたいと思います。

 

1. 新しい文化と、繰り返される「親の拒絶」

歴史を振り返れば、新しいものが世に出ると、親世代はついつい「それはダメ、あれはダメ」と否定から入ってしまうものです。 かつてのラジオや演劇、そして映画、テレビ、マンガ……。今では文化として定着しているこれらも、登場した当時は「子供に悪影響を与えるもの」として大人たちに警戒されてきました。

しかし、子供たちは常に本能的です。そこにある「習得したい何か」を敏感に察知し、自然と手に取ります。親心が本能的に「ダメ」と言ってしまうのもまた一つの愛情の形かもしれませんが、子供たちの好奇心の根底にある「成長への意欲」まで否定してはいけないと感じています。

 

2. 「画面の中を制御できる」という圧倒的な成功体験

中でも現代のゲームは、極めて高度な知的作業を子供に要求します。 プレイヤーは複雑なルールを瞬時に理解し、物語の文脈(ストーリー)を読み解き、目的を達成するために指先の操作を完璧に覚えなければなりません。

画面の中でキャラクターを自分の意志で自由自在に動かせるようになること。これは、子供にとって単なる遊びを超えた**「環境を自分の力でコントロールできている」という圧倒的な自信(自己効力感)**に直結します。

心理学の世界でも、この「自分はできる」という感覚は、学習意欲や困難に立ち向かう力(レジリエンス)の土台になると言われています。デジタルな世界であっても、自分の努力によって状況を改善し、目標に到達するプロセスは、立派な成功体験なのです。

 

3. 現実にある「身体性」という重要性

しかし、ここで私たちが忘れてはいけない重要な視点があります。それは、体育、技術・家庭、美術・工作、あるいは音楽といった**「現実の世界につながる操作」**の重要性です。

現実の世界は、ゲームのようにボタン一つで思い通りにはいきません。木を削ればささくれが立ち、絵の具を混ぜれば思った色にならないこともあります。スポーツでは体が思うように動かないもどかしさを味わいます。

現実から逃げるためにゲームに夢中になるのは、本末転倒です。デジタルの万能感だけに浸ってしまうと、現実の「ままならなさ」に耐えられなくなってしまう恐れがあるからです。

 

4. ゲームの自信を、現実を頑張る糧にする

理想的な姿とは、現実の大変さを知り、挫折を経験しながらも、「ゲームで培った『自分は操作して状況を変えられる』という自信」を、現実世界での挑戦に繋げていくことです。

「ゲームであれだけ練習して、難しいボスを倒せたのだから、現実のこの難しい課題も、粘り強く操作(努力)すればいつかクリアできるはずだ」

そんなふうに、ゲームで得た確かな手応えが、現実を頑張るための「心のガソリン」になること。これが当校の目指す教育のあり方でもあります。

 

5. プログラミング教育が果たす役割

私がプログラミングを教えているのは、まさにこの「デジタルとリアルの橋渡し」をするためです。 プログラミングもまた、ルールを理解し、自分の意図を論理(コード)として入力し、結果を操作する行為です。ゲームで養った「意欲」を、より生産的で、現実のビジネスや社会にも通じる「技術」へと昇華させる。そうすることで、子供たちはより自信を持って、広い世界へと漕ぎ出していけるようになります。

ゲームは悪ではありません。それを「現実を生き抜く力」に変換できるかどうかが、私たち大人の導き方にかかっているのだと私は信じています。